多分最後
日本軍兵士として参戦した祖父。
その口から戦争について聴けるのは、私で多分最後の孫になると思う。
これから生まれてきても、悲しいかな、ちょっと遅い。
65年前の樺太での体験を幼少の頃からよく話してくれる。志願入隊した時は今の私と同い年。
そして話が長引くと決まって祖母が隣から
「還ってきて警官になるって言うから結婚したのに、結局あなたは商売を始めたじゃない。」
それで話は終わり。
しかし、その祖母ももういない。
男ってのは、悲しいかな、メスに先立たれるとものすごく弱るのが早い。
上京してから初めて帰郷したときは、別人みたいで驚いた。
むしろ今までがスーパーおじいちゃんだっただけ。
10年前、中学生だった私が結局最後まで腕相撲で勝てなかった相手だし。
年齢以上にスピード出す運転する人だし。田舎道だからって勢いで。
読んでて気分を害する人もいると思うが、本当に祖父母には感謝。
未だに、正月と盆だけは曾孫の代まで集まっての近況報告。その時は、家中子供が走り回るわけです。
これって、平凡なようで実はものすごいことだと。
そして2年前の出来事なのだが、初めて玉音放送が流れた時のことを話してくれた。ビックリした。
内容は割愛するが、今まで聴いた戦争体験談の中で最も意味が有った。
で、気付いた。むしろ、なんで今まで理解出来なかったのだろうと。
戦争には貧しくて志願したんだとようやく判った。
写真の中の、「殺しに行って死ぬかもしれない」日本兵の祖父と比べ、同い齢の私はなんて顔付が甘いんだと。
間違い無く祖父の青春時代はあの瞬間だったと理解できた。
腹が減ったと、樺太鹿やシャケを狩る話はサイコーだ。
話が広がるが、極東裁判で石原莞爾の「ペリーを連れてこい。」の言葉には噴飯ものだが、核心を突いている。
人間らしい動物とは違い、人間らしい人間だ、考える葦に個々が近いと思う。アフリカ中心のメルカトル図を見れば一目瞭然。
で、併合100周年も含めて半島の大統領と会談するんだと。
九段の森には参拝せずに?併合100周年だからこそ参拝するでしょ。
きっと参拝しない人の父親や祖父も戦時中こんな姿勢だったんだろうね。じゃなきゃ、父も母も無い人間だろ、こんなの。
これ年金問題より説明が必要だと思う。国民の潜在意識って意外とこういうところだから。
そもそも、的を得ていないんだ。
あの国が5千万もない人口で、ここまで経済発展できた要因ってなんだったろうと。
いわんや、日本も半島も、まだ名目上アメリカを名乗っていないでしょ。
物事は常に相対的、物質を採るか精神を採るか。
両方バラス良くするのは難しい。
ただ、「場」の力を考える日本人的発想は、西洋国際社会と上手くいかないんだろうね。
んーとね。
数年前からこの日を認識すると毎年変な苛立ちにがする。
ファットマンだかリトルボ-イだか知らないが、あの時に九州北部が曇っていなかったら私は生まれていなかったはずだから。
広島・長崎の式典に連合国代表が出席して、アメリカ代表が
「非人道兵器使って申し訳なかった。」
って謝ってから初めて終わるんだろうね、この戦争。
下らないこと蒸し返すより、話し合うべきはそっちだ。
運よく私は生まれて怠惰な生活を送れているが、先人達から受け継ぐものは受け継ぎたい。
もっと日本人らしく。この時代だからこそ。
あーキミタチはいいよ、別に。マクドナルドでも食べて「あばばば」って言ってなさい。
自分のことしか興味がない廃人共。
って言えるように自分のことで精一杯の俺。もっと本を読め!
んで、祖父母に感謝。ありがとう。